開物叢説 石鹸

日本初の石けん製造技術書「開物叢説 石鹸」のデジタル文書化と現代語訳を行っています

緒言

[原著]

 f:id:TMU1977:20210810163027j:plain f:id:TMU1977:20210810162953j:plain

 

 f:id:TMU1977:20210810163104j:plain f:id:TMU1977:20210810163046j:plain

 

 f:id:TMU1977:20210810163119j:plain

 

[文書化]

開物叢説 緒言

古(いにしえ)より事を議する者皆富国強兵を言う
富強の二字竟(つい)に措大の常談となりて幾(ほとほ)と人をして聴くを厭(いま)わしむるに至る
然(しか)れども天下の事唯言うべくして為す可らざる者あり
又只聴く可(べ)くして行う可らざるもの有り
富強の策多しと雖(いえど)も其(その)行われ難きは亦(また)故(ゆえ)有るかな
竊(ひそか)に以(おもんみ)るに我神州の富穣なる草木金石鳥獣魚介是を用いて余りあるの物産を軽蔑し徒(いたずら)に外国の奇品を玩(もてあそ)び国力の疲弊と民財の消散を思わざるは如(ごと)何ぞや
彼の白金鑚石の如きは万国共に稀なる所なれば競て是を珍とするも亦理(ことわり)無きに非ず
然れども博(ひろ)く尋ね深く索(もと)めば是を獲るの日無しと言う可からず
其他人工を以て造り出すべきの品、物として成らざるの理無し
只産物を活用すると死用するの二に在(あ)るのみ
我国天成の産物多しと雖(いえ)ども精錬分析の術未だ明かならざるが故に空(むなし)く之を死用すること少なからず
此弊を救うて国家を富強にせんと欲せば化学に従事し造化の秘蘊(ひうん)を探り百工の利益を興すより他無し
故に経済の志を懐(いだ)く者は化学を講せずんばある可らず
其書既に舶齎(はくせい)するもの尠(すくな)からず
今其善き者を擇(えら)びて悉(ことごと)く之を繙訳(はんやく)し以て公にせん事固(もと)より企望する所なり
然れども是業の如きは我輩社友志力を戮(あ)わするも能(よ)く速に成る可きに非ず
故に先ず仮りに一書の体裁を定め題して開物叢説と曰(い)う
乃(すなわ)ち日用切近の製造品四十種を擇(えら)び是を初集と名[づ?]く
而(しか)して西籍を繙(ひもと)く毎に其説に遭(あ)へば輒(すなわ)ち訳して是を輯(あつ)む
但し篇中の序次少しく西人の区別と異なり只今日に切なるを主とし且先ず得る者を前にす
仮に家什飲饌衣服薬剤の四類となす
斯(か)く倫次を設くる事洋書の原模に拘(こだわ)らずと雖(いえど)も本文訳説に至っては一に西文の本意を存し敢て妄(みだり)に増減する事なし
且我輩井蛙(せいあ)の見極めて広深の域を窺う事能(あた)わざれば固(もと)より是を以て全書と謂うに非ず
只楷梯(かいてい)を近きに求めて以て漸(ようや)く遠きに及ばんと欲するのみ
上に言える四十種は動植二体に出づる者多く無機体と雖(いえど)も唯土石塩鹵に止(とど)まる
既に輯(あつ)めて此に至れば鉱属の部も亦採収せずんば有る可らず
依て朴鉱の類十種を附す
只邦産有るもの設令邦産の稀なるも得易き者のみを挙ぐ
通篇五部各々十種要するに開物学の一班を見るに足るのみ
看官(かんかん)此書蒐輯(しゅうしゅう)の狭きを賤(いやし)み過(あやま)て学境の広大なるを蔑視すること勿(なか)れ

明治五年壬申春  宇都宮義綱 識


[現代語訳]

開物叢説(物品開発総説) 緒言

昔から物事を勉強する者は、皆富国強兵を言う。
富強の二文字は、ついに優秀な書生が常に話すことになってしまい、危うく人が聴くことを厭に思うようになってしまう。
そうであっても、天下のことを、ただ言うだけで、行動しない者が有る。
また、ただ聞いているだけで行っていないものも有る。
富国強兵の方法は、多いといっても、それを行うことの困難さは、理由が有ることだろう。
そっと思い巡らすと、我が国の豊穣な草木や鉱物、鳥獣、魚貝を用いた様々な産物を軽蔑し、むやみに外国の変わった品をもてあそんで、国力の疲弊と民間の財産が失われることを思わないのは何ということだろう。
あのプラチナやダイヤモンドのように、多くの国で稀少なので、競うように貴重品としているのは、理由が無いことではない。
しかしながら、広く尋ね、深く求めれば、これを得ることができる日は無いと言うことにならない。
その他にも、人の力で造り出さなければならない品なら、物として造り出さない理由は無い。
ただ産物を活用するのと、活用しないのとの、二つがあるだけだ。
我が国には天然の産物が多いが、精錬したり分析する技術が未だ十分でないために、空しくこれを活用できないことが少なくない。
この弊害から救って、国家を富強にしようと思えば、化学に従事して、製造の秘訣を探り、多くの工業主に利益をもたらす他に無い。
ゆえに経済の志を抱く者は、化学を勉強しなければならない。
そのような書物は既に舶来しているものも少なくない。
今その中から優れたものを選んで、それらをことごとく翻訳して公開する事は、初めから達成を望むところである。
それでも、このような作業は、同業者や有志が力を合わせたとしても、うまく迅速には達成できない。
ゆえに、まず仮に一つの書物の体裁を定めて、開物叢説という題名とする。
すなわち日用の身近な製品から四十種を選び、これを第一集とする。
そして、西洋の書籍を読んでいく中で、その説明に出会ったならば、そのたびごとに訳して、これを収載していく。
ただし、書物中の順序は、多少西洋人の区分とは異なり、現在必要とされるものを主として、かつ、先ず入手できるものを先にする。
とりあえず、家庭用品、飲食物、衣服、薬剤の四種類とする。
このような順序の設定は洋書の原型にこだわらないが、本文の翻訳の説明は、西洋の文章の元の意味をそのまま残し、あえて増減することはない。
かつ、私は井の中の蛙と見定めて、広く深い範囲を見渡すことはできないので、最初はこれで全部の本というのではない。
まずは、手本となる書物を手近に探し求め、次第に遠くの範囲まで及ぶように望んでいる。
先に述べた四十種は、動植物の二形態から出発しているものが多く、無機物といっても鉱石類に限られる。
既に収集してあるので、鉱物の部も収載しなければならない。
したがって、木や鉱石の種類は十種を加える。
そして国内産であるものは項目を設定し、国内産が稀少であっても入手しやすい物は挙げていく。
書物全体は五部で、各々の部には十種が必要となるが、物品開発の中の一部を見ているだけである。
読者はこの書物の収載範囲が狭いと見下す誤った判断で、学術範囲が広大であることを蔑視してはならない。

明治五年春  宇都宮義綱 識(しるす)


[注釈]

A.「開物叢説 石鹸」の位置付け

幕末から明治期前半にかけて活躍した我が国初の科学技術者「宇都宮義綱(後に三郎に改名*1)」が編集した「開物叢説 石鹸」は、明治五年に刊行された。石けんの工業的製造法をまとめた、日本人による初めての著作である。
明治初期に複数の石けん工業化の試みが行われたが、その中には宇都宮氏の指導によるものもあったとされている*2)。
なお、明治六年に日本で最初に石けんの工業化に成功した堤磯右衛門は、洋書の輸入商であった丸屋善八こと早矢仕有的の指導によるとされている*3)。

*1)渡邊靜夫編集著作, 「日本大百科全書」二版第一刷, 小学館, p179(1994)
*2)小林良正, 服部之, 「花王石鹸五十年史(復刻版)」, 花王石鹸株式会社発行, p199-200(1978:原書昭和十五年)
*3)小林良正, 服部之, 「花王石鹸五十年史(復刻版)」, 花王石鹸株式会社発行, p203(1978:原書昭和十五年)


B.開物叢説の構想と実際

「開物叢説」という書籍は、国会図書館では「開物叢説 家什十種 第1 石鹸」として蔵書が登録されている。
開物叢説の緒言には、家什飲饌衣服薬剤(家庭用品、飲食物、衣服、薬剤)の四類と、鉱物を合わせて5部、それぞれ10種類を翻訳していくと宣言されている。
なので当初、全体としては50種類の項目の技術書を目指していたと思われる。
しかしながら、本著作である「家什十種 第1 石鹸」以外の、他の「開物叢説」の存在は確認されていない。
考えられることは、四類の一番目「家什」の第1種「石鹸」のみが刊行され、他は刊行されていないものと推定される。
本著作を作者(訳者?)である「宇都宮義綱」は、優れた化学技術者だったようで、石鹸以降の「開物叢説 石鹸」の刊行(明治五年)直後に、明治五年に新設されたばかり官営の深川セメント製造所の技術者となり、明治六年末にセメントの工場生産を成功させている*4。
おそらく「開物叢説」の石鹸以降の部分を訳して著作とする余裕はなく、「石鹸」の刊行だけで終わってしまったのだと思われる。

*4)「ミヨシ油脂株式会社社史」, 幸書房編集, ミヨシ油脂株式会社発行, p8-12(1966)