開物叢説 石鹸

日本初の石けん製造技術書「開物叢説 石鹸」のデジタル文書化と現代語訳を行っています

04. 苛性ソーダ液の製造法

[原著]

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[文書化]

通常石鹸の原料とする所の苛性曹達滷を製する法

曹達[ソウダ]滷[ロ]を製せんと欲せば、須[スベカラ]く先ず之を粉砕すべし(炭酸曹達は炭酸加里の如く急に濕(=湿)を引かず常に凝固して塊[カタマリ]をなすが故なり)。其の大塊[カタマリ]は予め先ず重大[テオモ]の槌を以て之を破砕[クズス]して後、之を鉄舂(=臼)[ウス]に入れ搗[ツイ]て粗末[アラキツブ]とす。大製造局に於いては、扁平なる石盤[イシノダイ]上にて大鉄槌[テツツチ]を以て粉砕す。但し砕粉の大きさ、砂粒[スナツブ]の如くなるを度[ホド]として可なり。其の極めて微細[コマカ]なるを要せず。

炭酸曹達[タンサンソウダ]と生石灰[キイシバイ]との和[マゼル]量[ワリ]は、用いる所の油の量[メカタ]に原[モトヅ]きて定む。即ち硬固石鹸一千斤を造るには、阿利襪[オレーフ]油(六百斤)、炭酸曹達[タンサンソウダ](五百斤)、生石灰[キイシバイ](一百斤)、を用ふ。尚、多量[オオメ]に製せんと欲せば、此の定量[キマリノワリ]を率[テホン]として、彼れ此れ相い増加[マシクワウ]すべし。

曹達既に砕[クダ]きたらば、別に生石灰に些少[スコシバカリ]の水を注[ソソ]ぐべし。是に因って忽ち熱[ネツ]を発し水化して粉末となる。直ちに粗眼[メノアラキ]の篩[フルイ]を以て篩過[フルイコ]すこと一回[イチド]。此の二品を混和して之を桶[オケ]に容[イ]る。桶底[オケノソコ]、予め幾箇[イクコ]の瓦片[カワラカケ]砕石[イシクズ]を安ず。是れ滷汁「アク」の淋出[シタタル]に便せんが為なり。而して之に水を注[ソソ]ぐ。水の量は遍[アマネ]く薬料[ヤクリョウ]に滲透[シミトオル]し、猶且つ、その上[ウエ]を踰[コエ]ること大約[オオヨソ]我が半寸許[バカリ]なるべし。既に水を注ぎて二三時を経[フ]るの後、注管[ノミクチ]の塞[セン]を開きて、滷汁[アク]を漏す。此の滷、最も稠厚[コク]苛烈[ツヨシ]にして、其の重きこと卵を浮かばしむるに足る。是れを頭滷[トウロ]と名づく。然れどもその薄稠[ウスサコサ]の度[カゲン]は、須く験液器[ケンエキキ]を用いて精究[ギンミ]すべし。即ち験液器の十八度より二十度に至る者なり。是れを器[ウツワ]中に密閉[シッカリトフウジ]し貯[タクワ]う(滷汁を密閉する所以は、空気中の水分、之に合して薄弱[ウスリヨワク]とならしめ、且つ炭酸漸く之に和して、苛性[ツヨキセイ]を制するを防ぐなり)。頭滷[トウロ]洩れ盡[ツク]るに及びて注管[ノミクチ]を塞ぎ、復た同量の水を注加[ツギイレ]し放置[ソノママオク]すること二三時の後、再び之を注出[ツギイダ]す。此滷も其の初めて滴出[シタタル]する間は、其の稠厚[コキ]なること殆[ホトン]ど頭滷に譲[ユズ]らず。之を合して貯[タクワウ]るも亦可なり。而して漸く希薄[ウスキ]に移る。是れを二滷[ニドメノアク]と称す。次に第三回[サンド]の水を注[ツ]ぎて更に稀[ウス]き滷[アク]を得、之を験液器にて試るに四度より八度に至る。乃ち別に貯うべし。最後に桶中の渣滓[カス]中に残留[ノコル]せる滷分[アク]を収[オサ]め盡[ツク]さんが為に、復た水を注加して第四滷[ヨタビメノアク]を取る。然れども此の品、甚だ薄弱にして、唯、後回[ニドメ]の頭滷[トウロ]を製する新汲[クミタルママノ]水[ミズ]に代えて、益あるのみ。此の如くにして、滷を取り尽くしたる余滓[アマリノカス]は、桶を倒[サカサマ]にして、之を出し、田圃[タハタケ]を糞培[コヤシ]するに用いて良なり。

或る鹸匠[シャボンシ]、甚だ多量の石灰を用う。譬えば曹達の半量、動[ヤヤモ]すれば是れに踰[コエ]るに至る。又、之に反して甚だ石灰を吝用[イリメスクナク]するあり。盖{けだ}し石灰極めて純好[マジリナクヨシ]にして新鮮[アタラシキ]なれば、上に記する所の量(曹達の五分の一)を採[トッ]て既に足れりとす。若し其の陳久[ヒネ]なる者に遇[ア]えば、宜しく其の量を増すべし。而して石灰の量は稍[ヤヤ]多きに過ぎると雖も、妨碍[サシツカエ]無きが如し。然りと雖も、緊要[キンヨウ]なる定限[キマリ]の量を超えるは、実に益[エキ]無し、且つ、無益の価[アタイ]を費やす。亦、戒慎[キヲツケ]せぬんばある可からず。

 

[現代語訳]

一般的な石けんの原料とするための、苛性ソーダ水酸化ナトリウム)液を製造する方法

苛性ソーダを製造しようとする場合、必ずまず粉砕しなければならない(炭酸ソーダ=炭酸ナトリウムは、炭酸カリウムのように急に吸湿しないで、常に凝固して塊状になっているため)。その大きな塊を、予め大きな槌で粉砕した後に、鉄の臼に入れてつき、粗い粒子とする。大製造局(※)では、扁平な石盤上で、大きな鉄槌で粉砕している。ただし、粉砕した粒子の大きさは砂粒の程度でよい。とても微細にする必要はない。

炭酸ナトリウムと生石灰との混合する量は、用いる油の量に基づいて定められる。すなわち、硬石鹸を一千斤(約600kg)を製造するためには、オリーブ油六百斤(約360kg)、炭酸ナトリウム五百斤(約300kg)、生石灰一百斤(約60kg)、を用いる。なお、それよりも多く製造する場合には、この基本の比率に従って、それぞれを増大させる。

ソーダ=炭酸ナトリウムが事前に粉砕してあるのならば、それとは別に、生石灰に少量の水を注入する。そうするとすぐに発熱して水と反応し、粉末となる。ただちに目の粗い篩を用いて、一度でふるいにかける。これらの二品を混合して、桶に入れる。桶の底には予め何個かの、瓦のかけらや粉砕した石を置いておく。これは、アルカリ液がしたたり出ることを良好に行えるようにするためである。そして、これに水を注入する。水の量は、薬剤の全体に浸透し、なおかつ、薬剤の上を約半寸(1.5cm)超える程度である。水を注入してから二三時(訳注:現在の4~6時間?)した後に、液出口の栓を開けて、アルカリ液を出す。このアルカリは、最も濃厚でアルカリ性が強く、比重が大きいために卵を浮かべることができる。これ(最初に出てくるアルカリ液)を「頭滷」と名付ける。しかし、その濃度の程度は、比重計を用いて正確に測定するべきである。すなわち、比重計の十八度から二十度の範囲である(訳注:重ボーメ度の値とすると、比重で約1.14~1.16の範囲)。これ(=頭滷)を容器の中に密閉して保存する(アルカリ液を密閉する理由は、空気中の水分を吸収して希薄になってしまい、炭酸(訳注:空気中の二酸化炭素)を次第に吸収して、アルカリ性が低下することを防ぐためである)。頭滷が出尽くしたら液出口の栓を閉めて、同じ量の水を再び注入して二三時(訳注:現在の4~6時間?)放置した後に、再びこれを注ぎ出す。このアルカリも最初に出てくるときは、その濃厚さは頭滷とほとんど同じである。これを合わせて貯蔵することもできる。そして次第に希薄になっていく。これを「二滷」と名付ける。次に三回目の水を注入して、さらに希薄なアルカリを得て、之を比重計で測定すると、四度から八度となる(訳注:重ボーメ度の値とすると、比重で約1.03~1.06の範囲)。そのため、別に貯蔵するべきである。最後に、桶の中の残渣に含まれるアルカリ分を回収し尽くすために、再び水を注入して、第四滷を得る。しかし、この液は非常に希薄なので、二度目以降の頭滷を製造するために注入する水に代えて用いると、有用である。

石けん製造を行う、ある技術者は、非常に多量の石灰を使用している。例えば、炭酸ナトリウムの半分とか、場合によってはこれを超えるほどである。一方で、これとは逆に、石灰を非常に少量しか用いていない。思うに、石灰の純度が非常に高く新鮮であれば、上記の量(炭酸ナトリウムの五分の一)であっても十分すぎるのだろう。しかし、それが長時間経ったものである場合には、その量を増大させるべきである。したがって石灰の量は若干多すぎても、差し支えはないだろう。しかし、重要な決められた量を超えて配合することは、無駄であり、余計な出費となるので、気をつけるべきである。

※)「大製造局」の記載は、おそらく大阪造幣局と思われる。宇都宮三郎について、以下の記載がある*1)。
  (一八)七四年に工部省深川工作分局で日本最初のセメント製造に成功したほか、
  大阪造幣局にて炭酸ソーダ製造、また製藍法、酒醸法の改良、耐火れんが製造、
  製鉄、紙やすり製造を指導するなど、わが国化学技術開発の先駆をなした。
*1)渡邊靜夫編集著作, 「日本大百科全書3」二版第一刷, 小学館, p179(1994)

 

[注釈]

苛性ソーダ水酸化ナトリウム)液の製造法が記載されている。硬石けん用のアルカリ剤であり、軟石けんでは水酸化カリウムを用いる。
石けんを工業的に製造する場合に使用するアルカリ剤としては、弱アルカリの炭酸ナトリウムではなく、強アルカリの水酸化ナトリウムを使用しないと、ケン化が十分に行われない。

この章では、以下の観点について記載されている。
A.原料の炭酸ナトリウムの調製(粉砕)
B.炭酸ナトリウムと生石灰の反応
C.水酸化ナトリウム液の基準と保管

A.原料の炭酸ナトリウムの調製(粉砕)
炭酸ソーダ=炭酸ナトリウムは、吸湿性が強く潮解性のある炭酸カリウム*2)と異なり、吸湿して凝固している*3)ので、予め粉砕する必要がある。
 *2)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典5」縮刷版第26刷, 共立出版, p722(1981)
 *3)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典5」縮刷版第26刷, 共立出版, p731-732(1981)

B.炭酸ナトリウムと生石灰の反応
石けん製造に用いるアルカリ剤として、現在では苛性ソーダ水酸化ナトリウム)そのものを原料としているが、イギリスで苛性ソーダが工業的に製造されるのは1884年*4)である。
苛性ソーダが入手できなかった時代では、炭酸ナトリウムと石灰を原料として、石けん製造に先立って苛性ソーダを予め製造することが行われていた*5)。
生石灰に水を加えて消石灰の粉末(+水)とし、炭酸ナトリウムを加えて反応させると、水酸化ナトリウムが生成する*6。
   CaO + H2O -> Ca(OH)2,    Na2CO3 + Ca(OH)2 -> 2NaOH + CaCO3
生石灰は空中の湿分を吸って徐々に消石灰に変化する*7)ため、製造されてから時間の経った生石灰を用いる場合には、純粋な生石灰よりも多く配合することが必要と考えられる。
 *4)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典2」縮刷版第39刷, 共立出版, p408(2006)
 *5)井高退三著, 「化学応用石鹸製造全書」, 門口黄山堂書店, p17-18(1901:明治34)
 *6)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典5」縮刷版第28刷, 共立出版, p337(1984)
 *7)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典4」縮刷版第28刷, 共立出版, p800(1984)
 
C.水酸化ナトリウム液の基準と保管
原著では「験液器の十八度より二十度に至る」としか記載されていないが、水酸化ナトリウムの濃度を規定していることから、比重による基準と推定され、「験液器」とは浮き秤の比重計、「十八度より二十度」はボーメ度の比重の値、と読み取れる。
明治34年刊行の石けん製造の技術書にも、「ボーメ氏重液計は、苛性曹達の溶液の濃淡を測る」と記載され*8)、「ボーメ氏重液計」の図として浮き秤が描かれている[下図参照]*9)。
なお、比重の単位である「ボーメ度」は、フランスの化学者であるボーメの名にちなんでいる。
水より軽い液(軽液)と、水より重い液(重液)とで、規定が異なっている(水酸化ナトリウム溶液は比重が水より重い)。
重液のボーメ度Beから比重dへの換算は、d = 144.3/(134.3+Be) であることから*10)、本文で記載の頭滷の比重1.15は、水酸化ナトリウム濃度として約14%となる*11)。明治34年刊行の石けん製造の技術書では「(加熱濃縮することで)滷液はボーメ氏重液計38度以上43度」と記載されており*12) (1.36~1.42g/cm3 ≒ 33~39%に相当)、本書の滷液(水酸化ナトリウム液)の濃度はかなり低く思われる。
 *8)井高退三著, 「化学応用石鹸製造全書」, 門口黄山堂書店, p25(1901:明治34)
 *9)井高退三著, 「化学応用石鹸製造全書」, 門口黄山堂書店, p28(1901:明治34)
 *10)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典8」縮刷版第28刷, 共立出版, p708(1984)
 *11)日本化学会編, 「化学便覧 基礎編 改訂6版」, 丸善出版, p585(2021)
 *12)井高退三著, 「化学応用石鹸製造全書」, 門口黄山堂書店, p18(1901:明治34)

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【備考】

A)現在の工業的な石けん製造での、水酸化ナトリウム水溶液の濃度に関して、
  知識が無いです。
 ・現在の連続中和法*13)では、
  油脂から作られた脂肪酸水酸化ナトリウムで中和後に乾燥しており、
  乾燥の温度や時間に関して、
  水酸化ナトリウム水溶液は高濃度の方が好ましいと考えられます。
 ・歴史的な製造方法である、油脂のケン化による石けん製造の場合は、
  ケン化し塩析した後での、純度や収量に関して、
  水酸化ナトリウム水溶液は高濃度の方が好ましいと考えられます。
 *13)日本石鹸洗剤工業会ホームページ/石けん洗剤知識/石けん洗剤の基礎/せっけんメモシート/4.石けんはこうしてつくられる

B)固体の水酸化ナトリウムを原料として使用できる現在と異なり、
  炭酸ナトリウムと生石灰から水酸化ナトリウムを生成させて使用する場合には、
  以下の点がデメリットとして考えられます。
 ・石けん製造用に配合する水酸化ナトリウム水溶液の濃度に限界があること
 ・微量のカルシウムイオンの存在によって金属石けんが生成するため、
  石けんの洗浄性能などに悪影響が考えられること

 

 

03. 石けんの製造法

[原著]

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[文書化]

石鹸製法、諸般の区別あるを論ず

諸油の成分は三種の物質に係わる。一つを脂素(蘇的亜林[ステアリン])と言い、二つを珠素(麻兒呀林[マルガリン])と言い、三つを油素(阿利印[オレイン])と言う。其の遠{おくぶかい}成分を剖折[シラベワケ]すれば、悉{ことごと}く、炭素、酸素、水素の集[アツマッ]て成る所なり。但し其の合和[マジリノ]比例[ワリアイ]、彼れ此れ均しからざるが故に、諸種の脂油、其の性を異[コト]にす。此の諸素、滷塩[ロエン]或いは酸化金属[サンカキンゾク]に合すれば、輙[スナワ]ち各種の石鹸を生ず。
石鹸を製するの原料[モトダネ]三種、一つ曰く、有力塩基、即ち加里[カリ]、曹達[ソーダ]、加爾基{かるき}、酸化鉛[サンカエン]、酸化亜鉛[サンカトタン]、是なり(按{あんずる}に此に二種の酸化金属を列する者は、所謂{いわゆる}鉛膏等の如きをも亦、一種、水不可溶の石鹸に属するなり)、二つ曰く水、三つ曰く天然の脂油[アブラノ]成分、即ち脂・珠・油の三素、是れなり。
石鹸の類い、大別[オオワケ]して二綱[フタタテ]とす。一つを水に可溶[トケル]品と言い、二つを不可溶[トケザル]品と言う。甲{前者=水に可溶}は、加里、曹達を以て製する者(即ち日常通用の石鹸)、乙(後者=水に不溶)は、諸{もろもろ}の酸化金属を以て製する者なり。其の酸化鉛を以て製する者、別に硬膏[コウコウ](鉛丹膏等を云う)の称{よびな}あり(此の編、不解{とけない}石鹸を略して、只、浣洗に用うるもののみを説く)。日用の水に溶[トク]可き品も亦、細別[コワケ]して二等とす。曰く硬[カタキモノ]、曰く軟[ヤワラカキモノ]。硬石鹸は曹達と阿利襪[オレーフ=オリーブ]油、或いは扁桃{アーモンド}油、或いは牛脂、及び其の他の獣脂[ケモノノアブラ]を以て製し、軟セッケンは、加里と獣脂、或いは草木の種子[タネ]の搾油[シボリアブラ]を和して造る。
石鹸を製するの油、最好[モットモヨ]き者は、阿利襪、扁桃の二品にして、獣脂之に亜[ツ]ぐ。例えば牛脂、猪脂[イノアブラ]、酪[ウシノチ]、等の如し。而して種子「タネ」油を下とす。蕓薹{ナタネ}、蕪菁{カブ}、罌粟[ケシ]、大麻等、是なり。
仏蘭西[フランス]、伊太利[イタリー]、西班牙[スパイン]、諸邦に於ては、阿利襪[オレーフ=オリーブ]油の廉価[ヤスキアタイ]なるに因って、之に曹達を和して硬石鹸を製すと雖{いえど}も、英吉利[エギリス]、及び欧羅巴[ヨーロッパ]北部諸国にては、此の油に乏[トボシ]きが故に、多く牛脂[ウシノアブラ]等を用う。各種[ソレゾレ]の製法、下に開示[シメス]するが如し。


[現代語訳]

石けんの製造法には、様々な分類があることを説明する

様々な油の成分は、三種類の物質に係わっている。一つ目は脂素であるステアリン、二つ目は珠素であるマルガリン、三つ目は油素であるオレインである。それらを詳しく成分分析すると、いずれも炭素・酸素・水素から構成されている。ただし、その構成する比率は、いずれも異なっているために、様々な油脂の性質が異なっている。これらの油脂は、アルカリや酸化金属と混合すれば、たちまちに各種の石鹸が生成する。
石鹸を製造する原料は三種類あり、一つ目は強力な塩基であり、カリ(炭酸カリウム)、ソーダ(炭酸ナトリウム)、カルキ(石灰)、酸化鉛、酸化亜鉛などである(この二種類の酸化金属を列記した理由は、いわゆる鉛を用いた硬い膏薬などもまた、一種の水に不溶な石鹸に属するからである)、二つ目は水であり、三つ目は天然の油脂の成分である、脂素(ステアリン)、珠素(マルガリン)、油素(オレイン)となる。
石鹸の種類としては、大別すると二つに分類される。一つ目は水に可溶なものであり、二つ目は水に不要なものである。前者(水に可溶)は、カリ、ソーダを用いて製造されるもの(つまり日常に使用される石けん)で、後者(水に不溶)は、様々な酸化金属を用いて製造されるものである。酸化鉛を用いて製造されるものは、硬膏(鉛丹[=酸化鉛]などの硬い膏薬)の別名がある(この書物では、水に不要な石けんに関しては省略し、洗浄に使用するもののみを解説する)。日常の、水に可溶なものもまた、二つに細分化される。すなわち、硬いものと軟らかいものである。硬石けんは、ソーダ(炭酸ナトリウム)と、オリーブ油かアーモンド油や牛脂か其の他の獣脂を混合して製造し、軟石けんは、カリ(炭酸カリウム)と、獣脂や草木の種子を搾った油とを、混合して製造する。
石けんを製造するための油としては、最良のものは、オリーブとアーモンドに二種類で、獣脂がそれに次ぐ。例えば、牛脂や豚脂、牛乳などである。そして、種子から得られる油は下級である。ナタネ、カブ、ケシ、大麻などである。
フランス・イタリア・スペインなどの諸国では、オリーブ油が低価格であるために、これをソーダと混合して硬石けんを製造しているが、イギリスやヨーロッパ北部の諸国ではこのオリーブ油の産出が少ないため、多くの場合に牛脂などを用いている。それぞれの製造法については、以降に示す通りである。


[注釈]

第3章「石けん製造法の分類」では、石けんの分類として、いくつかの観点が示されている。
A.原料の油脂の種類による分類
B.原料のアルカリの種類による分類
C.水への溶解性による分類
D.石けんの硬軟による分類

A.原料の油脂の種類に基づく分類
石けん原料の油脂として、ステアリン・マルガリン・オレインの3種類を挙げているが、何が違うのかは記載されていない。
(いずれも炭素・酸素・水素から構成されていることが記載されている)

・油脂が脂肪酸のトリグリセリドであることと、
 石けんがアルカリと脂肪酸で形成されることは、まだ知られていなかった。

・油脂の種類によって石けんの良否が異なる原因が、
 油脂中の脂肪酸の構成の相違であることも知られていなかった。

・19世紀初頭、油脂が脂肪酸のトリグリセリドという知識は未だなかった時代に、
 豚脂から得られた未知の油脂成分に「マルガリン」を初めて名付けた論文には、
 「石鹸製造では油脂がアルカリと反応するので、油脂は酸と同様である」
 という記載がある*1)。

・その後に油脂と脂肪酸の関係が明確になっていき、
 「マルガリン」という油脂の種類は消えていく。
  (代用バターである「マーガリン」は、「マルガリン」とは別物

・19世紀半ばまでには、
 油脂が脂肪酸グリセリンから構成されていることが知られるようになり、
 油脂に関して以下のような記載がある。
  ・油脂をアルカリと加熱すると、
   得られる石鹸はカリウムやナトリウムと脂肪酸の塩であり、
   その際にグリセリンが遊離する*2)
  ・油脂は脂肪酸と天然の基質から構成され、基質はグリセリンである*3)

 *1)M.Chevreul,"Annales de chimie",Imprimerie de H.Perronneau, p225(1813)
     (注:フランス国立図書館のPDFを参照)
 *2)William Gregory, "A Handbook of Organic Chemistry" Third Edition, Taylor, Walton, and Maberly, p283(1852)
     (注:大英図書館のPDFを参照)
 *3)Campbell Morfit, "Chemistry Applied to the Manufacture of Soap and Candles", Carey and Hart, p75(1847)
     (注:アメリカでPDFが書籍化されて販売されている)

B.原料のアルカリの種類による分類
石けんの原料のアルカリとして、炭酸カリウム、炭酸ナトリウム、石灰、酸化鉛、酸化亜鉛が挙げられている。
・石灰は、炭酸カリウムや炭酸ナトリウムの水溶液に添加することで、
 水酸化カリウム水酸化ナトリウムを生成させるためのものである*4)。
   Na2CO3 + Ca(OH)2 -> 2NaOH + CaCO3

・酸化鉛や酸化亜鉛は、
 硬い膏薬となる水不溶性の金属石けんを作成するために用いられる。
・酸化鉛や酸化亜鉛は、
 硬い膏薬となる水不溶性の金属石けんを作成するために用いられる。
・アルカリの一つとして原著に「加爾基(カルキ)」が記されている。
 「カルキ」は、本来は石灰の意味だったが*5)、
 現在は「さらし粉」の意味となっており*6)、
 消石灰に塩素ガスを吸収させて製造される*7)
 *4)井高退三著, 「化学応用石鹸製造全書」, 門口黄山堂書店, p17(1901:明治34)
 *5)下中直人編集発行, 「世界大百科事典」改訂新版, 平凡社, p188(2007)
 *6)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典2」縮刷版第36刷, 共立出版, p550(1997)
 *7)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典3」縮刷版第36刷, 共立出版, p860(1997)

C.水への溶解性による分類
炭酸カリウムや炭酸ナトリウムを用いて作られた石けんは水に溶解し、酸化鉛などの酸化金属を用いて作られた石けんは水不溶性である。

・化学大辞典の「金属石鹸」の記載*8)

脂肪酸、樹脂酸、ナフテン酸などのアルカリ塩以外の金属塩を言う。
製法:水またはアルコールを溶媒とし、アルカリセッケンと金属塩との複分解沈降法によるか、あるいは酸と金属酸化物、金属水酸化物などとを直接加熱反応させる融解法を用いてつくる。
種類:おもな金属セッケンはアルミニウム、マンガン、コバルト、鉛、カルシウム、クロム、銅、鉄、水銀、マグネシウム亜鉛、ニッケルなどのセッケンで、それぞれ特有な性質に基づき多方面に利用される。
用途:乾燥剤、粘度調整剤、ゲル化剤、顔料、香粧品、防水剤、ポリ塩化ビニルの安定剤、加硫促進剤、殺虫剤、殺菌剤などの広範囲にわたる。

 *8)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典2」縮刷版第39刷, 共立出版, p919(2006)

D.石けんの硬軟による分類
硬石けんは、炭酸ナトリウムと、
オリーブ油・アーモンド油・牛脂などの獣脂と、から製造され、
軟石けんは、炭酸カリウムと、獣脂や種子を搾った油と、から製造される
硬石けんに関しては、オリーブ油・アーモンド油・牛脂が良好で、
ナタネなどの種子の油は劣ると書かれている。

・化学大辞典の「硬石けん(ソーダセッケン)」の記載*9)

高級脂肪酸類のナトリウム塩、すなわちナトリウムセッケンでその質がかたい。セッケンの組成をなす脂肪酸は飽和およびオレイン酸列の不飽和酸で、中でも炭素数12~18の脂肪酸が最適である。油脂原料として牛脂、羊脂、豚脂、硬化油、ヤシ油、綿実油などを適当に配合したものを用い、水酸化ナトリウム溶液でケン化してつくる。ケン化後の処理法の差により塩析セッケン、半含核セッケン、コウ(膠)セッケンに区別される。わが国で日常使用される化粧セッケン、洗タクセッケンはいずれもこれに属する。

・化学大辞典の「軟石けん(カリセッケン)」の記載*10)

特殊セッケンの一つ。軟質ノリ状のセッケンを称し、普通カリウムセッケンが使用されるのでカリセッケンと同義に用いられる。ただし安価なものを得るためには含水量の多いソーダセッケンでまにあわせる。アマニ油、大豆油、トウモロコシ油、綿実油などの乾性油、半乾性油、工業用オレイン酸、ロジンを水酸化カリウム水酸化ナトリウム溶液または両者の混合溶液でケン化して得たセッケンコウを塩析を行わずに、そのまま冷却固化させてつくる。その外観によって透明軟セッケン、含粒軟セッケンおよび銀色軟セッケンに区別され、化粧用、家庭用、工業用、薬用セッケンとして使用される。

 *9)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典3」縮刷版第28刷, 共立出版, p56(1984)
 *10)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典6」縮刷版第28刷, 共立出版, p670(1984)

 

02. 石けんの起源

[原著]

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[文書化]

石鹸起源[オコリ]

石鹸の発明、其の来ること、既に舊[ヒサ]し。盖{けだ}し、衣服を初めて裁制[タチコシラエ]せしより甚だ後{おく}れざる可し。然れども真好[ホントウニヨキ]石鹸の製法、完備[デキアガリ]に至りしことは、人功[シゴトノ]漸く精[テギワ]を極むるの後に在るが如し。故に其の創製[テハジメ]の時世は即ち確定[シッカリ]すべからざるのみ。洒布[セイプ]の名称[トナエ]或いは独逸[ドイツ]の古言、洒百[セーペ]の転語[ウツリコトバ]なりと云う。然れども此の名、既に赫蒲楼[ヘブロウ]人(赫蒲楼は上古の国名、其の語言岐分して今の西洋諸国語の宗源となれり)。謝列漠[セレミヤス]氏の書中に創[ハジメテ]見[ミアタル]せり。布栗紐[プリニウス](往昔{おうせき}化学家)も亦、此を徴[メアテ]せり。而して呀李{訳注:原著は口偏に李}越爾[カルリエルス]氏を推して其の鼻祖[センゾ]と云えり。呀氏[カルリエルス]は石鹸を製するに木灰[キノハイ]と牛脂[ウシノアブラ]とを用いたり。古の羅馬人、蓋{けだ}し其の製法を秘[カク]して普[アマネ]く伝播[ヒロメ]せず、其の証[ショウ]覈実[アキラカ]なり。邦貝以[ポンペイヤ]府は紀元後第七十九年(景行天皇の三十年)、威蘇威[フェシュフィウス]山の地震に遇いて、噴出する刺華[ラフワ]土の底に埋没[ウズモル]せり(威蘇威山は伊太里国内の火山にして、其の噴出の為に近隣諸邦、屡々害を被ることあり)。然るに後来、其の旧墟を堀りて、石鹸匠[サイク]の器什[ウツワ]、及び一鍋の石鹸を得たり。此の品、実に油と滷塩[ロエン、アク]とを以て製する者に係[カカ]る。然れば、今を距[サ]ること一千七百余年の前、既に石鹸の製法[セイシカタ]完備[そなわる]せしを徴[チョウ]するに足れり。


[現代語訳]

石けんの起源

石けんが発明されてからだいぶ時が経ってしまった。思うに、衣服を裁断して作るようになってから、ずっと後のことのはずだ。そうであっても、良好な石けんの製造法が完成したのは、作業の手際が次第に最良となっていったのと同様だろう。従って、その(訳注:石けんの)創り出された時期をはっきりさせることはできない。洒布(ソープ?)という名前はもしかしたらドイツの古語である洒百(セーペ)が転じた言葉と云われているが、その名前は既にヘブライ人(ヘブライは古代の国の名前で、その言語は枝分かれした今の西洋諸国の言語のおおもとになっている)の謝列漠:セレミヤスの書物の中に、初めて見られる。プリニウス(過去の化学者)もまた、これ(訳注:古代の石鹸に関するエピソード)を収集していた。そして、呀李越爾(カルリエルス)氏が石けんの元祖と推定している。カルリエルス氏は、石けんを木灰と牛脂とを使用していた。古代のローマ人は、どうやら石けんの製造法を秘密にして、公開しておらず、そのことは確実である。都市ポンペイは紀元七十九年(景行天皇の三十年)、ベスビオス山の噴火と地震が起こって、噴出した火山灰に埋まってしまった(ベスビオス山はイタリア国の火山で、その噴火によって周辺諸国がしばしば被害を被っている)。その後、廃墟が発掘されて、石けん製造用の器具や石けんが得られた。この品は、油とアルカリで製造されたものと考えられるので、今から千七百年以上も前に、既に石けんの製造法は完成していたことを明らかにしている。


[注釈]

第2章「石けんの起源」では、石けんの発祥について記載している。

A.ヘブライ人のセレミヤスの書物に記載された石けんの記述が最も古い
B.プリニウスが古代の石けんに関するエピソードを収集していた
C.プリニウスはカルリエルスを元祖と推定し、カルリエルスは木灰と牛脂で石けんを作っていた
D.ベスビオス火山の噴火で埋まったポンペイの遺跡には石けんが見つかり、その当時に石けんの製造法は完成していた


A.ヘブライ人のセレミヤスの書物に石けんについて記述されていた
旧約聖書エレミヤ書に書かれた予言者のエレミヤのことと思われる。
・同様の内容が、「花王石鹸五十年史」の「第一章 産業革命以前の石鹸業、第一節 古代における石鹸」に、記載されている1) 。

  「石鹸」の世界史は、少なくとも『旧約聖書』にまで遡るのが、普通である。
  それは、かのマルティン・ルッターが、これをドイツ訳するに当たり、
  ヘブライ原典におけるボリート(borit)をザイフェ(Seife - 石鹸)と云うドイツ語をもって訳出したのによるものである

 *1)小林良正, 服部之, 「花王石鹸五十年史(復刻版)」, 花王石鹸株式会社発行, p1(1978:原書昭和十五年) 

B.プリニウスは石けんに関するエピソードを収集していた
・(大)プリニウスが著した「博物学」に石けんの記載があることが、
 「花王石鹸五十年史(復刻版)」の「第一章 産業革命以前の石鹸業、第一節 古代における石鹸」に書かれている2)。

  西暦紀元一世紀随一の博学者大プリニウスは、丁度ベスビオ山の大噴火に際して、
  たまたま同山上にあり、貴き犠牲となった人であるが、
  その名著『博物学』第二十八篇において「石鹸」(sapo)に言及し、
  それが、頭髪に赤い光沢(つや)を与えるために、
  ガリア人によって発明されたものであること、
  獣脂と灰とから製出されるものであるが、
  特に山羊の脂肪と山毛欅(ブナ)の灰とから製出するものを、最上とすること、
  固形と液状との二種類があり、そしてこの二種類とも、ゲルマニアにあっては、
  婦人よりも、むしろ男子によって愛好されていること等を述べている。
  (注:「博物学」を著したプリニウスを「大プリニウス」、その甥のプリニウスを「小プリニウス」と呼ぶ)

 *2)小林良正, 服部之, 「花王石鹸五十年史(復刻版)」, 花王石鹸株式会社発行, p5(1978:原書昭和十五年)

C.プリニウスはカルリエルスを元祖と推定
・カルリエルス氏が誰かは不明だが、大プリニウスが著した「博物学」中に記載されていると考えられる。

 

01. 石けんの総論

[原著]

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[文書化]

開物叢説家什第一
  石鹸訳説上

 石鹸総論

石鹸は固形物品[カタミヲモツシナ]の名称[トナエ]にして、是れ苛性滷塩[カセイロエン](滷塩原名「アルカリ」と云う、加里曹達[ソーダ]、石灰等の総名)を、油或は脂[アブラ]に合和し且つ稠厚[セイシツメル]と為す所の者なり。布帛[ヌノキヌ]の洗浣[アライ]に用い、又、毛布[ケオリ]を修繕[シアゲル]する磨車[クルマ]の用に供する者は動物[イキモノ]植物[ウエモノ]の脂油[アブラ]を以て製す。脂油は原来[ガンライ]水に溶化[トカス]すること能わず。然るに之に滷塩を和するに因て能く水と混和し、且つ他般[イロイロ]の効用を做[ナ]す。即ち毛布の膩気[アブラケ]を奪い利諾布[リノーフ(=リネン)](亜麻を以て織りたる布にして、西洋の常布なり)を潔白[キレイ]にし、諸の汚点[ヨゴレジミ]を除去[ノゾキサル]する等の如し。
扁桃、胡桃、大麻、蕓薹[ナタネ]罌粟[ケシ]等の搾油[シボリタルアブラ]、皆以て石鹸を製することを得べし。又、鯨油[クジラノアブラ]及び諸の獣脂[ケダモノノアブラ]共に可なり。草木種子[タネ]の油を以て製するの石鹸、種子[タネ]良性[サイジョウ]にして且つ之を搾[シボ]るに火力を假[カ]らざる者は頗[スコブ]る良好の品を得、然れども他般[イロイロ]の石鹸、流動[トロケ]して糊[ノリ]様なる者過半[ナカバニスグ]とす。
鯨油[クジラノアブラ]を以て製せる石鹸は、利諾布[リノーフ]等を漂白[サラス]するが為に甚だ佳し。然れども稍[ヤヤ]臭気[アシキニオイ]を帯[オ]ぶ。但し此の臭気は太陽に晒[サラ]すこと数日にして消散[キエウセル]す。
獣脂[ケダモノノアブラ]を用うる者は悪臭[アシキニオイ]無く且つ硬固[カタシ]なり。
西班牙[イスパニヤ]石鹸は木油[キノアブラ]、即ち阿利襪[オレーフ(=オリーブ)]油(阿利襪油は阿利襪樹の実を搾[シメ]て取る者にして、薬舗[ヤクシュヤ]に「ポルトガル」油と称する者なり。此の樹、暖帯諸国に産す。寒国[サムキクニ]には培植し難し)にて製す。其の白色[シロキイロ]なる者は間脈[シマ]ある者に比[クラブ]すれば軟[ヤワラカ]なり。而して間脈ある者は性味[ショウミ]亦た苛烈[カフクツヨシ]なり。精油[セイユ](蒸餾[ランビキ](=蒸留)して出る油)は、稠厚[ツマリタル]なる脂油の如く石鹸となり難し。都{すべ}て好[ヨキ]石鹸を造るが為には宜しく油を澄殿[オトマス]せしめて上清[ウワズミ]を用うべし。而して其の渣脚[オリ]は以て下品[オチタルシナ]の石鹸を製す。
餅状の硬[カタキ]石鹸を造るが為に用いる滷塩[ロエン、アク]は、炭酸曹達[ソーダ]にして之に石灰[イシバイ]を和[マゼル]するに因て苛性[ショキセイ]を発する者なり。方今[イマ]多く製する所の柔軟[ヤワラカク]糊状[ノリノヨウナル]の石鹸は、白色或いは灰色の剥篤亜斯[ポットアス]を以て製す。
軟[ヤワラカキ]石鹸も亦硬石鹸の如く滷塩の力に因って能く水に混和[マザル]す。此の品と白[シロキ]石鹸との区別[ワカチ]は、第一其の淡褐色[ウスチャイロ]、或いは暗緑色[コキモエギイロ]なる、第二其の断[タ]えて堅硬[カタク]ならず唯柔軟[ヤワラカ]にして粘稠[ネバリヅヨキ]なる糊状[ノリノカタチ]をなすに因る。然れども此の品、白石鹸よりは強力[ツヨミ]なるが故に、羅紗[ラシャ]毛布の工匠[ショクニン]之を撰[エリ]用す。
此の品類[ヒンルイ]は独逸[ドイツ]地方等に於いて多く製して以て発売[ウリイダ]す。
軟石鹸[ヤワラカキセッケン]を製す可きの油、分けて熱油[ネツユ]寒油[カンユ]の二種[フタクサ]とす。熱油に属するは大麻、亜麻にして、寒油は蕓薹[ナタネ]、蕪菁[カブラ]の類を云う。甲[ネツユ]は高価[アタイタカク]にして、乙[カンユ]は廉価[アタイヤスシ]なり。
軟石鹸に用いる滷塩[アク]は剥篤亜斯[ポットアス]にして生石灰を合和す。石灰は石を焼[ヤキ]たる者、貝灰に勝れり。
多量の苛性曹達[カセイソウダ]を水に溶化[トカシ]して、其の量[メカタ]殆[ホトン]ど水[ミズノ]量に踰[コユ]る者一分を、新たに搾「シボ」りたる扁桃油二分に合し、火温[ヒノアタタマリ]を假[カ]らず、大理石[マルブル、ロウセキ]の舂内[ウスノウチ]にて之を研和[オロシマゼ]すれば、即ち善美[ゴクジョウ]なる薬用[クスリニモチウル]石鹸を得、此の品、常[ナミノ]石鹸の如き不佳[フカ]の臭味[ニオイ]を帯[オ]うことなし。通常[ヒトトオリ]多く薬用に供する勿搦茶[ヘネチャ(=ベネツィア)]石鹸、及び亜里甘斯[アリカンス]石鹸と呼ぶ者は、苛性曹達と阿利襪[オレイフ(=オリーブ)]油を以て煑製[ニテセイス]せる者にして、亦佳品[ヨキシナ]に属すれども、未だ全く美ならず。此の品は白色なり。又紅脈[アカキシマ]及び青[アオキ]脈を具えて大理石の如き観[ツヤ]をなす者あり。是れ石鹸型の内に硫酸鉄の溶液[シル]を注加[ツギイレ]するに因って此の色を発す。此の他多く造る所の常品緑[モエギ]石鹸は大麻、蕪菁、亜麻等の諸油に苛性曹達滷を加え、或いは屡々鯨油[クジラアブラ]をも添加[ソエクハウ]して製する者なり。此の物、不佳[ヨカラズ]の臭を存して、浣濯[センタク]する所の布帛[ヌノ]も亦屡々之を伝染す。


[現代語訳]

開物叢説(物品開発総説) 家庭用品類 第一
  石けん論の上巻

  石けんの総論

石けんは固形物の名称で、苛性アルカリ(アルカリは、カリウム、ナトリウム、石灰等の総称)を、油脂に混和して粘稠とするものである。布帛の洗浄に使用されたり、毛織物を精製する縮絨(しゅくじゅう、訳注:毛織物をフェルト状に収縮)させる水車(?)に使用されるものは、動物や植物の油脂を用いて製造される。油脂はもともと水に溶解しない。ところがこれ(油脂)にアルカリを混合することで、水とよく混合し、しかも様々な効用が得られる。例えば、毛織物の油分を除去したり、リネン(亜麻を織った布で、西洋では常用される布)を清浄にし、様々な汚れを除去したりする。
アーモンド、クルミ大麻(訳注:大麻の種?)、菜種、ケシなどから搾った油からは、いずれも石けんを製造することができる。また、鯨油や様々な獣脂も使用できる。草木の種の油で製造された石けんは、種が良品でかつ搾油の際に火力を使用しないものは、非常に良好な品を得られる、しかし、多くの石けんは、流動性で糊状であるものが半数以上を占めている。鯨油を用いて製造される石けんは、リネン(亜麻布)などを漂白(訳注:清浄化)するために非常に良好であるものの、若干臭いがあるが、この臭気は太陽に数日晒すことで消散する。
獣脂を用いるものは悪臭がなく、かつ堅固である。
スペイン石けんは、樹木からとれる油であるオリーブ油(オリーブ油はオリーブの木の実を搾って得られるもので、薬店で「ポルトガル油」と云われているものである。この樹木は温暖な国で生産されていて寒冷な国での栽培は困難である)を用いて製造される。その中でも白色のものは、縞模様があるものに比べると柔軟である。そして、縞模様があるものは性質として刺激性が強い。精油(蒸留を行って出てくる油)は、粘稠な油脂と同様に石けんにはなりにくい。全体として良好な石けんを製造するためには、油を沈殿分離させてさせて上澄みを用いるべきである。沈殿物を用いると低品質な石けんが造られる。
餅状(訳注:乾燥した餅を指すか?)の硬石けんを製造するために用いるアルカリは炭酸ナトリウムで、これに石灰(訳注:正確には消石灰水酸化カルシウムのこと)を混合することで、強アルカリ性(=苛性)となる。最近多く製造されている柔らかい糊状の石けんは、白色や灰色のポットアス(=炭酸カリウム)を用いて製造される。
軟石けんも硬石けんと同様に、アルカリの力で水とうまく混合するようになる。この品(=軟石けん)と白い石けん(=硬石けん?)との区別は、第一に淡褐色か暗緑色であること、第二は固くならずに柔らかく粘稠で糊状であることである。しかし、この品は白い石けんよりも強力なため、ラシャ毛織物を製造する職人は、こちらの方を選んで用いている*1)。
この種類(訳注:の石けん)は、ドイツ地方などで多く製造され、販売されている。
軟石けんを製造するための油は、熱油と寒油の二種類に分類される。熱油に属するのは大麻と亜麻で、寒油はナタネ、カブなどをいう(訳注:いずれも種子を使用)。前者(熱油)は、高価で、後者(寒油)は廉価である*2)。
軟石鹸に使用するアルカリは、ポットアス(=炭酸カリウム)で、生石灰を混ぜ合わせる(訳注:生石灰CaOは水を加えると消石灰Ca(OH)2となるので、水がある状態であれば生石灰の添加で水酸化カリウムKOHが生成する)。石灰は石(訳注:石灰石CaCO3)を焼成したもので、貝の灰よりも優れている。
大量の苛性ソーダで重量が水以上を、水に溶解して、その一分量を、新たに搾ったアーモンド油二分量と混合し、火で熱することをせず、大理石の鉢の中でこれを混和すると、すぐに薬用にもなるセッケンを得られ、この品は通常の石けんのような不快な臭いがない。一般的に多くが薬用として用いられるベネツィア石けんとかアメリカ(?)石けんと呼ばれているものは、苛性ソーダとオリーブ油を加熱して製造するもので、良好な品質であるけれど、今のところ外観上は美しくない。この品は白色で、赤い筋や青い筋があって、大理石のような外観をしているものもある。これは、石けんの型の内部に硫酸鉄の溶液を加えることでこのように発色する。これ以外の多く製造される通常の緑色の石けんは、大麻、カブ、亜麻などの様々な油にアルカリ性ソーダ灰を加え、時には鯨油も添加して製造される。これらのものは不快な臭いがあって、洗濯する場合に、布に臭い移りすることがある。


[注釈]

第1章「石けんの総論」では、石けんの概要、及び、石けんの原料となる油脂の種類、アルカリに基づく石けんの硬軟の相違、軟石けんの原料油などについて記載されている。

A.石けんの概要:油脂とアルカリを混和して製造され、布類の洗浄に用いられる
B.石けん原料の油脂の種類:草木の種子やオリーブの実、獣脂・鯨脂などと、アルカリを混和して製造される
C.アルカリに基づく石けんの硬軟の相違:使用するアルカリは、硬石けんでは炭酸ナトリウムと石灰で、軟石けんでは炭酸カリウム生石灰である
D.軟石けんの原料油:軟石けんには、亜麻などの油である高価な熱油と、ナタネなどの油である安価な寒油がある。

A.石けんの概要:油脂とアルカリを混和して製造され、布類の洗浄に用いられる

・化学大辞典の「石鹸」の記載*1)
広義には脂肪酸の金属塩の総称であるが、最も普通にはナトリウム、カリウムなどのアルカリ金属塩をさす。アルカリセッケンは更にその硬軟によって硬セッケンと軟セッケンとに分けられる。そのほかの金属塩は大部分が水に不溶性であって、これらは金属セッケンの名で区別されている。なお脂肪酸と類似性をもつ樹脂酸、ナフテン酸の塩類もセッケンとよばれる。アルカリセッケンは水溶性で著しい表面活性を示し、安定なアワを生じ、大きい洗浄力を持っている。低濃度では真の電解質溶液の性質を示すが、臨界ミセル濃度では急激にミセルを形成し、この濃度以上ではコロイドとしての性質を示す。水溶液は一部加水分解してアルカリ性を呈する。次にセッケンをその成分、用途、性状および製法により分類すれば次表のようになる。おもなセッケンの成分、特徴、用途などについては、それぞれの項目を参照。
 *1)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典5」縮刷版第36刷, 共立出版, p340(1997)

C.アルカリに基づく石けんの硬軟の相違:使用するアルカリは、硬石けんでは炭酸ナトリウムと石灰で、軟石けんでは炭酸カリウム生石灰である

・現在は石けん製造には水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)や水酸化カリウム(苛性カリ)が使用されるが、日本で工業化されるのは19世紀末頃*2)で、それまでは炭酸ナトリウム等しかなかった。
石灰と炭酸ナトリウム等を反応させることで、水酸化ナトリウム等を得ていた*3)。 Na2CO3 + Ca(OH)2 -> 2NaOH + CaCO3

・化学大辞典の「硬石けん(ソーダセッケン)」の記載*4)
高級脂肪酸類のナトリウム塩、すなわちナトリウムセッケンでその質がかたい。セッケンの組成をなす脂肪酸は飽和およびオレイン酸列の不飽和酸で、中でも炭素数12~18の脂肪酸が最適である。油脂原料として牛脂、羊脂、豚脂、硬化油、ヤシ油、綿実油などを適当に配合したものを用い、水酸化ナトリウム溶液でケン化してつくる。ケン化後の処理法の差により塩析セッケン、半含核セッケン、コウ(膠)セッケンに区別される。わが国で日常使用される化粧セッケン、洗タクセッケンはいずれもこれに属する。

・化学大辞典の「軟石けん(カリセッケン)」の記載*5)
特殊セッケンの一つ。軟質ノリ状のセッケンを称し、普通カリウムセッケンが使用されるのでカリセッケンと同義に用いられる。ただし安価なものを得るためには含水量の多いソーダセッケンでまにあわせる。アマニ油、大豆油、トウモロコシ油、綿実油などの乾性油、半乾性油、工業用オレイン酸、ロジンを水酸化カリウム水酸化ナトリウム溶液または両者の混合溶液でケン化して得たセッケンコウを塩析を行わずに、そのまま冷却固化させてつくる。その外観によって透明軟セッケン、含粒軟セッケンおよび銀色軟セッケンに区別され、化粧用、家庭用、工業用、薬用セッケンとして使用される。

 *2)社団法人工学会他, 「明治工業史 化学工業篇」, 丸善, p336(1925:大正14)
 *3)井高退三著, 「化学応用石鹸製造全書」, 門口黄山堂書店, p17(1901:明治34)
 *4)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典3」縮刷版第28刷, 共立出版, p56(1984)
 *5)化学大辞典編集委員会編, 「化学大辞典6」縮刷版第28刷, 共立出版, p670(1984)

D.軟石けんの原料油:軟石けんには、亜麻などの油である高価な熱油と、ナタネなどの油である安価な寒油がある。
・熱油と寒油に関して記載された書籍は見いだせなかった。
・1847年にアメリカで刊行された石けん製造の技術書には、原料の種子ごとの項目の中で、油を絞る工程での温度について以下のように記載されていた。
  Rapseed oil(ナタネ油):種子から油を搾る際に加熱する *6)
  Linseed oil(アマニ油):冷たい状態で最良の純度の油が得られる *7)
・熱油とされるアマニ油の融点・凝固点は、-18℃~-27℃で、
 寒油とされるナタネ油の融点・凝固点は、0℃~-12℃である*8)。
・従って、種子から油を絞る際に、
 低融点の油は加熱が不要で、融点が高めの油では加熱が必要であり、
 熱油と寒油という分類は、
 油を絞る際の加熱の必要性の有無で分けられていると推定される。

 *6)Campbell Morfit, "Chemistry Applied to the Manufacture of Soap and Candles", Carey and Hart, p93(1847) 
 *7)Campbell Morfit, "Chemistry Applied to the Manufacture of Soap and Candles", Carey and Hart, p95(1847)
 *8)日本油化学協会, 「油脂化学便覧」改訂二版, 丸善, p2-p3(1971)

 

石鹸目次

[原著]

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[文書化]

開物叢説
 家什類第一
 石鹸説巻上
  目次
  石鹸総論
  石鹸起源
  石鹸製法諸般の区別あるを論ず
  通常石鹸の原料とする曹達滷の製法
  曹達滷と阿利襪[オレーフ]油とを以て石鹸を製する法
   附 緑黒色の石鹸を修製しめ白色となす
  冷製石鹸
  軟石鹸、黒石鹸、樹脂石鹸、毳毛石鹸、
  坐蓐草(卓の誤りか?)毡に髹るべき蝋製石鹸液、
  紅黄透明の香奩[コマモノヤ]石鹸、及び羊脂石鹸、
  急製石鹸水、即ち少の費用を以て洗衣の用に供する石鹸様の液を製する法
  晩近に至て発明せる石鹸成分の詳説
  石鹸成分の異同に随て硬軟の別あるの理を明す
  石鹸他の酸化金属に遇[あう]て分解するを論ず
  石鹸の主能
  加里と曹達との区別、及其の製法
  食塩を分解して曹達を得る法
  芒硝を分解して曹達を得る法
  諸種油類曹達滷の好否を鑒する法

 

[現代語訳]

開物叢説(物品開発総説)
 家庭用品類 第一
 石けん論の上巻
 目次
  01. 石けんの総論
  02. 石けんの起源
  03. 石けん製造法に様々な区別が存在することを論じる
  04. 通常の石けんの原料とするソーダ灰の製造方法
  05. ソーダ灰とオリーブ油で石けんを製造する方法
   附 緑黒色の石けんを精製して白色にする
  06. 冷製石けん
  07. 軟石けん、黒石けん、樹脂石けん、毳毛(羊毛のことか?)石けん、
  08. 座卓を磨く目的の蝋製の石けん液、
  09. 橙色透明の化粧石けん、及び羊脂石けん、
  10. 即席石けん水、即ち少ない費用で衣料洗濯用の石けん状の液体を製造する方法
  11. 最近発明された石けん成分の詳細な説明
  12. 石けん成分の相違で硬軟が異なる理由を明確にする
  13. 石けんが他の酸化金属によって分解することを議論する
  14. 石けんの主たる能力
  15. カリとソーダの区別、及びその製法
  16. 食塩を分解してソーダを得る方法
  17. 芒硝を分解してソーダを得る方法
  18. 様々な植物の種の油類のソーダ灰の適不適を比較する方法

 

総目録

[原著]

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[文書化]

開物叢説初集
 総目録

  第一類 家什十種
第一 石鹸
第二 植油 動脂
第三 獣蝋
第四 樹脂 巴麻油 瀝青
第五 木炭 石炭 松烟
第六 紙
第七 仮漆 封蝋
第八 墨汁
第九 陶器
第十 玻瓈

  第二類 飲饌十種
第一 食塩
第二 砂糖
第三 葡萄酒
第四 麦酒 菓酒
第五 火酒 亜爾箇兒
第六 醋
第七 牧牛説 乳汁 酪 乾酪
第八 麪包 ビスコイト
第九 孚卵法
第十 茶 煙草

  第三類 衣服十種
第一 獣皮消軟法
第二 木綿
第三 麻 亜麻
第四 絹
第五 牧羊説 毛布 羅紗
第六 染色法
第七 染彩薬品の上(植物)
第八 染彩薬品の中(動物)
第九 染彩薬品の下(鉱属)
第十 花布印法

  第四類 薬剤十種
第一 硝石
第二 硝酸
第三 硫黄
第四 硫酸
第五 塩酸 君王水
第六 格録爾加爾基
第七 燐 硫梯
第八 剥篤亜斯 曹達
第九 諳摸尼亜 磠砂
第十 雷澒 格録爾酸加里

  第五類 朴鉱十種
第一 金
第二 銀
第三 鉄
第四 銅
第五 澒
第六 鉛
第七 錫
第八 亜鉛
第九 アンチモニー 蒼鉛
第十 マンガーン コバルト

 総目録 終

 

[現代語訳]

開物叢説(物品開発総説) 第一集
 総目録

  第一類 家庭用品 十種
第一 石けん
第二 植物油 動物油脂
第三 獣蝋(鯨蝋?)
第四 樹脂 巴麻油(不明) 瀝青(アスファルト
第五 木炭 石炭 松烟(すす、カーボンブラック)
第六 紙
第七 仮漆(ワニス) 封蝋
第八 墨汁
第九 陶器
第十 玻瓈(ガラス)

  第二類 飲食物 十種
第一 食塩
第二 砂糖
第三 葡萄酒(ワイン)
第四 麦酒(ビール) 菓酒(果酒(果実酒)の誤りか)
第五 火酒(蒸留酒) 亜爾箇兒(亜爾箇保児アルコールの誤りか)
第六 醋(酢)
第七 牧牛説(牧用牛の理論?) 乳汁(牛乳) 酪(クリーム類) 乾酪(チーズ)
第八 麪包(パン) ビスコイト(ビスケット)
第九 孚卵法(卵をかえす方法?)
第十 茶 煙草

  第三類 衣服 十種
第一 皮鞣し(なめし)方法
第二 木綿
第三 麻 亜麻
第四 絹
第五 牧羊の理論? 毛布 羅紗(毛織物)
第六 染色方法
第七 染色用薬品の上(植物)
第八 染色用薬品の中(動物)
第九 染色用薬品の下(鉱物)
第十 花の模様の染色方法?

  第四類 薬剤 十種
第一 硝石
第二 硝酸
第三 硫黄
第四 硫酸
第五 塩酸 王水
第六 格録爾加爾基[不明]
第七 燐(リン) 硫梯[不明]
第八 剥篤亜斯(ポットアス:ポタシウム=カリ) 曹達(ソーダ
第九 諳摸尼亜(諳模尼亜:アンモニアの誤りか) 磠砂(塩化アンモニウム?)
第十 雷澒[不明] 格録爾酸加里[不明]

  第五類 木や鉱物 十種
第一 金
第二 銀
第三 鉄
第四 銅
第五 澒(水銀)
第六 鉛
第七 錫(スズ)
第八 亜鉛
第九 アンチモン 蒼鉛(ビスマス
第十 マンガン コバルト

 総目録 終

 

緒言

[原著]

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[文書化]

開物叢説 緒言

古(いにしえ)より事を議する者皆富国強兵を言う
富強の二字竟(つい)に措大の常談となりて幾(ほとほ)と人をして聴くを厭(いま)わしむるに至る
然(しか)れども天下の事唯言うべくして為す可らざる者あり
又只聴く可(べ)くして行う可らざるもの有り
富強の策多しと雖(いえど)も其(その)行われ難きは亦(また)故(ゆえ)有るかな
竊(ひそか)に以(おもんみ)るに我神州の富穣なる草木金石鳥獣魚介是を用いて余りあるの物産を軽蔑し徒(いたずら)に外国の奇品を玩(もてあそ)び国力の疲弊と民財の消散を思わざるは如(ごと)何ぞや
彼の白金鑚石の如きは万国共に稀なる所なれば競て是を珍とするも亦理(ことわり)無きに非ず
然れども博(ひろ)く尋ね深く索(もと)めば是を獲るの日無しと言う可からず
其他人工を以て造り出すべきの品、物として成らざるの理無し
只産物を活用すると死用するの二に在(あ)るのみ
我国天成の産物多しと雖(いえ)ども精錬分析の術未だ明かならざるが故に空(むなし)く之を死用すること少なからず
此弊を救うて国家を富強にせんと欲せば化学に従事し造化の秘蘊(ひうん)を探り百工の利益を興すより他無し
故に経済の志を懐(いだ)く者は化学を講せずんばある可らず
其書既に舶齎(はくせい)するもの尠(すくな)からず
今其善き者を擇(えら)びて悉(ことごと)く之を繙訳(はんやく)し以て公にせん事固(もと)より企望する所なり
然れども是業の如きは我輩社友志力を戮(あ)わするも能(よ)く速に成る可きに非ず
故に先ず仮りに一書の体裁を定め題して開物叢説と曰(い)う
乃(すなわ)ち日用切近の製造品四十種を擇(えら)び是を初集と名[づ?]く
而(しか)して西籍を繙(ひもと)く毎に其説に遭(あ)へば輒(すなわ)ち訳して是を輯(あつ)む
但し篇中の序次少しく西人の区別と異なり只今日に切なるを主とし且先ず得る者を前にす
仮に家什飲饌衣服薬剤の四類となす
斯(か)く倫次を設くる事洋書の原模に拘(こだわ)らずと雖(いえど)も本文訳説に至っては一に西文の本意を存し敢て妄(みだり)に増減する事なし
且我輩井蛙(せいあ)の見極めて広深の域を窺う事能(あた)わざれば固(もと)より是を以て全書と謂うに非ず
只楷梯(かいてい)を近きに求めて以て漸(ようや)く遠きに及ばんと欲するのみ
上に言える四十種は動植二体に出づる者多く無機体と雖(いえど)も唯土石塩鹵に止(とど)まる
既に輯(あつ)めて此に至れば鉱属の部も亦採収せずんば有る可らず
依て朴鉱の類十種を附す
只邦産有るもの設令邦産の稀なるも得易き者のみを挙ぐ
通篇五部各々十種要するに開物学の一班を見るに足るのみ
看官(かんかん)此書蒐輯(しゅうしゅう)の狭きを賤(いやし)み過(あやま)て学境の広大なるを蔑視すること勿(なか)れ

明治五年壬申春  宇都宮義綱 識


[現代語訳]

開物叢説(物品開発総説) 緒言

昔から物事を勉強する者は、皆富国強兵を言う。
富強の二文字は、ついに優秀な書生が常に話すことになってしまい、危うく人が聴くことを厭に思うようになってしまう。
そうであっても、天下のことを、ただ言うだけで、行動しない者が有る。
また、ただ聞いているだけで行っていないものも有る。
富国強兵の方法は、多いといっても、それを行うことの困難さは、理由が有ることだろう。
そっと思い巡らすと、我が国の豊穣な草木や鉱物、鳥獣、魚貝を用いた様々な産物を軽蔑し、むやみに外国の変わった品をもてあそんで、国力の疲弊と民間の財産が失われることを思わないのは何ということだろう。
あのプラチナやダイヤモンドのように、多くの国で稀少なので、競うように貴重品としているのは、理由が無いことではない。
しかしながら、広く尋ね、深く求めれば、これを得ることができる日は無いと言うことにならない。
その他にも、人の力で造り出さなければならない品なら、物として造り出さない理由は無い。
ただ産物を活用するのと、活用しないのとの、二つがあるだけだ。
我が国には天然の産物が多いが、精錬したり分析する技術が未だ十分でないために、空しくこれを活用できないことが少なくない。
この弊害から救って、国家を富強にしようと思えば、化学に従事して、製造の秘訣を探り、多くの工業主に利益をもたらす他に無い。
ゆえに経済の志を抱く者は、化学を勉強しなければならない。
そのような書物は既に舶来しているものも少なくない。
今その中から優れたものを選んで、それらをことごとく翻訳して公開する事は、初めから達成を望むところである。
それでも、このような作業は、同業者や有志が力を合わせたとしても、うまく迅速には達成できない。
ゆえに、まず仮に一つの書物の体裁を定めて、開物叢説という題名とする。
すなわち日用の身近な製品から四十種を選び、これを第一集とする。
そして、西洋の書籍を読んでいく中で、その説明に出会ったならば、そのたびごとに訳して、これを収載していく。
ただし、書物中の順序は、多少西洋人の区分とは異なり、現在必要とされるものを主として、かつ、先ず入手できるものを先にする。
とりあえず、家庭用品、飲食物、衣服、薬剤の四種類とする。
このような順序の設定は洋書の原型にこだわらないが、本文の翻訳の説明は、西洋の文章の元の意味をそのまま残し、あえて増減することはない。
かつ、私は井の中の蛙と見定めて、広く深い範囲を見渡すことはできないので、最初はこれで全部の本というのではない。
まずは、手本となる書物を手近に探し求め、次第に遠くの範囲まで及ぶように望んでいる。
先に述べた四十種は、動植物の二形態から出発しているものが多く、無機物といっても鉱石類に限られる。
既に収集してあるので、鉱物の部も収載しなければならない。
したがって、木や鉱石の種類は十種を加える。
そして国内産であるものは項目を設定し、国内産が稀少であっても入手しやすい物は挙げていく。
書物全体は五部で、各々の部には十種が必要となるが、物品開発の中の一部を見ているだけである。
読者はこの書物の収載範囲が狭いと見下す誤った判断で、学術範囲が広大であることを蔑視してはならない。

明治五年春  宇都宮義綱 識(しるす)


[注釈]

A.「開物叢説 石鹸」の位置付け

幕末から明治期前半にかけて活躍した我が国初の科学技術者「宇都宮義綱(後に三郎に改名*1)」が編集した「開物叢説 石鹸」は、明治五年に刊行された。石けんの工業的製造法をまとめた、日本人による初めての著作である。
明治初期に複数の石けん工業化の試みが行われたが、その中には宇都宮氏の指導によるものもあったとされている*2)。
なお、明治六年に日本で最初に石けんの工業化に成功した堤磯右衛門は、洋書の輸入商であった丸屋善八こと早矢仕有的の指導によるとされている*3)。

*1)渡邊靜夫編集著作, 「日本大百科全書」二版第一刷, 小学館, p179(1994)
*2)小林良正, 服部之, 「花王石鹸五十年史(復刻版)」, 花王石鹸株式会社発行, p199-200(1978:原書昭和十五年)
*3)小林良正, 服部之, 「花王石鹸五十年史(復刻版)」, 花王石鹸株式会社発行, p203(1978:原書昭和十五年)


B.開物叢説の構想と実際

「開物叢説」という書籍は、国会図書館では「開物叢説 家什十種 第1 石鹸」として蔵書が登録されている。
開物叢説の緒言には、家什飲饌衣服薬剤(家庭用品、飲食物、衣服、薬剤)の四類と、鉱物を合わせて5部、それぞれ10種類を翻訳していくと宣言されている。
なので当初、全体としては50種類の項目の技術書を目指していたと思われる。
しかしながら、本著作である「家什十種 第1 石鹸」以外の、他の「開物叢説」の存在は確認されていない。
考えられることは、四類の一番目「家什」の第1種「石鹸」のみが刊行され、他は刊行されていないものと推定される。
本著作を作者(訳者?)である「宇都宮義綱」は、優れた化学技術者だったようで、石鹸以降の「開物叢説 石鹸」の刊行(明治五年)直後に、明治五年に新設されたばかり官営の深川セメント製造所の技術者となり、明治六年末にセメントの工場生産を成功させている*4。
おそらく「開物叢説」の石鹸以降の部分を訳して著作とする余裕はなく、「石鹸」の刊行だけで終わってしまったのだと思われる。

*4)「ミヨシ油脂株式会社社史」, 幸書房編集, ミヨシ油脂株式会社発行, p8-12(1966)